道の会

鹿島が生んだ偉人のひとり 田澤義鋪先生の偉業と精神を学ぶ
「道の会」が3月7日に行われました。
鹿島JCは昨年の「がばいじいちゃん」の事業のための勉強のつもりで参加しています。
今年に入り最初の道の会。
JCからは松浦理事長・河谷直前・馬場副理事長・岩永副理事長・中尾委員長
大隈君・松本君が参加。JC以外からは市役所の職員さんも参加され、
少人数でしたが、密度の濃い充実した話を聞くことができました。
勉強会終了後、関係者全員での懇親会も行われ、田澤先生の話や戦後の
混乱期の話など色々な話をうかがい、刺激を受けて帰りました。
今後も田澤先生の精神を学び、今後のまちづくりに活かしたいと思います。
道の会は入会の制限は無く、一般の方も自由に参加できます。
参加ご希望の方は、田澤記念館又は鹿島JC事務局までご連絡ください。
ちなみに、次回の開催は5月の予定です。

田澤義鋪先生ってどんな方??

 東京の明治神宮の森にそびえ立つ日本青年館の中に、日本青年団連絡協議会の事務所があります。
その一角に、田沢義鋪記念館があって、今日も青年活動の拠点となっています。
 私の精神的バックボーンである、この田沢義鋪(以下田沢という)という人物は、
何をした人で、どのような人であったかをまず説明したいと思います。

 田沢は、明治18年、九州は佐賀県の郷士の生まれで、第5高等学校(現熊本高校)に進んでから、
東京帝国大学(現東京大学)卒業後、内務省の役人になった。

 25才で静岡県安倍郡(現在の静岡市)の郡長となり、大先輩の村長たちと郡政を執行するかたわら、
青年団と友好を深め、キャンプや講習会など、日本最初の青年教育を始めた。その後、大日本青年団を組織する指導者となった。

 明治天皇が崩御され、明治神宮を造営するにあたり内務省に呼び戻され、造営の責任者を任命された。
 明治神宮の森は、田沢の発案によって、各地区の青年団が大八車で、全国津々浦々から運んだ郷土の
名木が大樹に育って、神聖な杜となったのであった。

 当時、皇太子であった昭和天皇は大そう喜ばれ、皇居前で御礼のお言葉を賜り、当時のお金で10万円を青年団に下さった。
 田沢らはこの基金で一人一円運動を起こして、大正14年、立派な日本青年館が神宮の森の中に建ち、青年団の館が完成したのです。
 田沢は、日本青年団並びに日本青年館の理事長などを歴任し、友人で同志の後藤文夫(後の文部大臣)らと日本の青年団運動を指導しました。

 また、関東大震災後の東京市の復興の為に助役に就任して活躍したり、昭和5年には
天皇陛下に「青年団について」ご進講を行っています。

 田沢の弟分に下村湖人がいますが、田沢と下村は共同で社会教育機関紙(新政)を発刊して、公民教育の普及に努めました。
 下村湖人の書いた『次郎物語』の小説は、田沢をモデルにしたものであります。

 また、日本最初の労働運動に取り組み、大正11年(1922)にジュネーブで行われた第4回国際労働会議に出席しています。
 ただ、これだけの実績と功績がありながら、歴史上の人物として余り知られていないのはどうしてだろうか。

 それは、田沢は「道の国・日本」の道義を重んずると共に、人類愛・人間愛の平和主義者で、戦争に徹底して反対したため軍部からにらまれ、
歴史上から抹殺されたのではないかと言われています。

 昭和19年(1944)3月、四国での講演先で日本の現状を憂い、講演中に脳出血で倒れ、その後静養するも、9月に逝去しました(享年59才)。